「池田の弘誓時に熊のお墓がある!」と聞いて
見に行ったのは何年前か忘れたけど、、、
本当にそれはあってびっくりしました🐻
「熊塚」と記された熊のお墓には
熊の恩返しのようなお話しがあります。
1853年の冬のこと、
この年はペリー艦隊が浦賀に来航した年ですが
いっぴきの小熊が川西方面から巡礼橋を渡り
ふらふらと西本町に迷い込んで、
どえらい大騒ぎになりました。
可愛そうなことに追い立てられた小熊はやがて
醤油を作る「雑喉屋太兵衛」の蔵に逃げ込み
あわや鉄砲で撃ち殺されるところでしたが、
心の優しい太兵衛は檻に入れて7年程も飼いました。
太兵衛は大病にかかってしまいます。
だんだんと命も危うくなった頃に
熊も病気にかかって弱り、まもなく死んでしまいました。
その後、不思議なことに太兵衛の病状は日増しに良くなり
全快することができたそうです。
これは熊が恩返しのため身代わりに死んだのではないかと思い
境内墓地に熊の墓を立てたそうです。
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【池田郷土史学会】の3月例会は
「近世動物塚考-池田市弘誓寺所在熊塚を中心に-」
講師は堺市博物館 海邉博史氏
いよいよ弘誓寺の熊のお墓にスポットが当たるのか💡と
ワクワクがとまりませんでした(๑•᎑•๑)♬*゜
池田市立市民活動交流センターで、
まずは動物塚についてなどのお話しを聞きました♪
先生のお話がとてもわかりやすくて楽しかった♪
たくさんの方がご参加されたので、椅子が足りないほどでした💦
動物塚にもいろいろあって、、、
●ペットなどのお墓
●鶏、牛、豚など生業となった動物のもの
動物実験などに使われた動物など殺生されたもの
東大には菌塚、高野山には白蟻のお墓がある。
他にも動物ではないけど、殺生しない供養碑で
針、刃物、扇などの塚もある。
弘誓寺の熊塚の熊は
おそらく、月の輪熊ではないか、、、🐻
最近でも熊の出没はニュースにもなっていて
あちこちで見かけられているのですが
どうやら複数いるのではないかと考えれるそうです。
一通り動物塚についてのお話しを聞いたあとは
先生と皆さんと一緒に弘誓時へ徒歩で向かいました🚶
弘誓寺に到着♪
以前はこの墓地に熊塚があったのですが
今は本堂の右横奥の墓地に移動しています。
↓こちらが弘誓寺の熊塚です。
墓標と台座の2石で出来ていて、高さは72㎝
背面には「中尾」と「日付け」が刻まれていることから
造立者が中尾家で造立年が1860年12月12日であることがわかります。
今回、特別に本堂に上がらせていただきました♪
池田郷土史学会の例会では普段入れないところに
特別に入れるのもメリットがあります(๑•᎑•๑)♬*゜
弘誓寺といえば襖絵です✨
↓お庭にはこのように説明があります。
松楓に孔雀
作者は狩野派の勝部如春斎(1721-1784)
松桜に孔雀
熊之圖
熊の圖の存在は知らなかったので驚いたのですが
弘誓寺には「熊之圖」という絵図が所蔵されています。
熊塚の背面に「中尾」と刻まれていましたが
その中尾家に伝来していたものです。
中尾家の詳細は不明ですが
戦前までは弘誓寺の檀家総代を務めていて
池田の有力な商家の一つであったと思われます。
この熊之圖は熊が亡くなった翌年に書かれています。
熊の上に書かれている文字は
熊の恩返しの物語と同じようなことが書かれています。
熊之圖を囲んで先生に質問をしたり
お話しをしたり、良い時間を過ごすことができました。
弘誓寺のお庭から二階建ての珍しい鐘楼。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
普段は弘誓寺で熊塚を見ることはできますが
熊圖と襖絵は公開されていません。
池田郷土史学会ではいつでも会員を募集しています。
毎月第二日曜日に例会があって
いろんなところにお出かけしたり、
講師を招いて勉強会をしています。
是非ご参加ください(._.)
池田郷土史学会