池田には、猪名川・余野川・箕面川などなどが流れており
そこには約33種類の淡水魚が確認されております。
夏には蛍が飛んだり、水鳥が休んでいたり、かわいいお花が咲いていたり
ほっこりと癒やされる場所なのですが、、、
大昔から洪水の被害にたくさん遭ってきており
荒地化した土地も多かったと言われております、、、
特に猪名川は昔々は「西の川」と呼ばれていて
何度も洪水が起きた暴れ川だったようです。
猪名川の横にある寿命寺では、川の水位があがり、危険が近づくと
早鐘を打って知らせたそうです。
こちらは現在の猪名川でございます(^^)春に撮影しました。
明治28年に府内でコレラや赤痢が流行し
池田でも小学校が臨時休校になったという、その翌年、、、
明治29年に起きた洪水はそれはそれは大変なことで
なんと!呉服橋が流失しております。
池田市内の被害は細川村が大きく、
中川原堤防、古江堤防、木部堤防などが破壊されており、
古江町には復興を祈念する水害記念碑が明治31年に建立されている。
家屋流失11戸 納屋流失3戸 半崩れ家屋32戸
半崩れ土蔵1戸 半崩れ納屋12戸 浸水納屋3戸
床上浸水136戸 床下浸水132戸
流失橋7 道路破壊6 馬流失1頭
浸水家屋は泥土が流れ込み財産の損害少なからず
水浸田畑およそ50町歩にして内10町歩はすべて荒田となれり
地黄分署とは電線切断のため連絡とれず
昭和9年の室戸台風では、
近畿地方の木造の小学校校舎で児童・教職員に多数の犠牲者を出しましたが
池田では死者は出ていないようです。
池田町役場の破損や、木部に完成したばかりの町水道本館、
桃園の葬祭場が倒壊、小学校が破損しました。
附属小学校は前年に補強工事がされており、もしその工事がされていなければ
校舎が潰れて犠牲者が出たのではないかと言われています。
昭和10年には梅雨前線による豪雨があって
約3日間降り続き、明治29年の大水害を上回る降水量でした。
昭和13年の阪神大風水害も梅雨前線によるもので
西宮から神戸にかけて大洪水に襲われました。
池田でも大雨で、猪名川と江原川が決壊しており
猪名川の氾濫は明治29年以来のことで、
余の川が合流する手前の木部水源地あたりで決壊して、
木部新宅一帯が激流化、
猪名川の増水によって絹延橋付近から濁流が町に流れ込み、
伊居太神社の西北部から木部にかけては山崩れがありました。
五月山の東方、箕面村と接するところにある堤防も決壊し、
石澄川下流一帯の田畑に大小の石や巨木などが散乱しました。
この時には死者が一人出ています。
昭和25年のジェーン台風でも大きな被害があって
暴風で屋根瓦が飛び電柱が107本倒壊しており、
北今在家細河学区が特に被害が大きかった。
ガス、水道、通信が停止したことでさらに被害が広がりました。
平成6年の集中豪雨は、記憶に残るものです。
9月6日の夜から翌日未明まで降り続けたものですが
雨がレースのカーテンがうねるように降っていたのを覚えています。
これは、「天を裂いたようなどしゃぶり」と記録されています。
伊丹の空港が大きな被害を受け機能がマヒ、
石橋の店舗が浸水していたのを覚えていますが
そういえば、この時に私の家の一階ガレージも浸水、
車がシートまで水に浸かっていて、、、
この時は水害の恐ろしさを肌で感じました。
↓こちらは猪名川のすぐそばにある寿命寺です。
川が溢れそうになると、早鐘で知らせたり
雨が降らなくなると雨乞いをしたお寺です。
雨が降ったりやんだりする本日、
昔の池田も大雨や台風で水害が多かったのだろうな、、、と
池田市史を開き、皆様にも読んでいただきたいなと
まとめさせていただきました。
被害に遭われた地域の皆様、お見舞い申し上げます。
そして1日も早く復興することをお祈りしております。
参考文献/池田市史・池田学講座
池田市ハザードマップ