鉢塚にある細長い階段を上がる愛宕大権現は京都愛宕山より勧請/池田市

お天気がよかったので♪水月公園へ行ってみよう(´✪.✪`)と
自転車で走っていた時に、釈迦院の前を過ぎてすぐ発見!!

鉢塚の”愛宕大権現” をご紹介します・*:..。o♬*゚・*:..。o♬




住宅と住宅の間、、、
木製の鳥居、長い坂が興味をそそります♪

早速、お参りしてみることにしました・*:..。o♬*゚・*:..。o♬

大きな石碑に由緒が書かれてあります。

愛宕大権現は往時村域に火災多く村民相諮(はかり)り 
その除災を期する為京都愛宕山より勧請し当社に祭祀せしところ
霊験愈々(いよいよ)あらたかあり爾来(じらい/それ以来)
除災招福火難守護神として広く深く信仰され今日にいたる。
~こんな感じです~

火事が多かったので、火伏せの神様を京都から呼んできた
ということですね( ͡° ͜ʖ ͡°)✧

裏側には日付が刻まれていて
鉢塚町内会でお守りしていることがわかります。


昭和42年の石碑
けっこう長い階段( ꒪⌓꒪Ⅲ)
全部で67段あるという情報です(*^^*)

休み休みすすむと、、、
見えてきたのは、やや小さめのお堂


とても綺麗に整えられています。


真言というのは、最低3回以上唱えるものなのだそうです。
仏様を讃える言葉で 翻訳できない内容が含まれているので、
古代インドの言葉のまま伝わっているそうです。


見晴らしがとてもいい!!

昭和七年の石造物を発見

階段は下りの方が転びやすいので注意ですː̗̀(☉.☉)ː̖́

鉢塚の地名の由来
4世紀頃、応神天皇のお母さん(神功皇后)が
朝鮮の王様から「お釈迦様」が持っていた「鉄鉢」を
献上(プレゼント)されて持ち帰りましたが
当時はまだ日本に仏教が広まっておらず、鉢塚古墳に埋められていました。

それから数百年後・・・
”スーパー僧侶の行基菩薩”が近畿行脚の際にこの地に訪れ1泊した時に
なんと!観音菩薩が夢に現れて、鉄鉢が埋蔵されているとお告げがあり
目が覚めたあと、すぐにその地を発掘したところ鉄鉢を発見(^_^)

ことの重大さに、驚いて早速朝廷に報告したところ
天皇の勅願により若王寺(にゃくおうじ)の寺号を賜り
素晴らしいお寺が建てられたということです。
この石造りの鉄鉢は今でも釈迦院の宝物とされています。
実物は黒色の大きな石鉢だそうです。
その後、織田信長の兵火で、すべて焼き尽くされ
残ったのはこの鉄鉢のみだそうです。

釈迦院

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

スポンサーリンク
Sponsored Link
Sponsored Link

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする