池田城物語⑦/池田勝正は織田信長と勇敢に戦い池田城は落城/大阪府池田市の歴史

池田城物語⑥/細川政権が終わる、池田長正の時代/大阪府池田市の歴史

9代池田城主 池田勝正(1539-1578)
この池田勝正は謎の多い人と言われていて
長正の長男と言われていますが、そうではない可能性もあるそうです。
とても文武に秀でていました。
家臣には荒木村重、中川清秀がいました。

1563年
長正の死去により勝正が家督を継ぎます。
この翌年にすごい力を持っていた三好長慶が死去して
三好家が弱り、勝正は三好三人衆と組みます。

1568年
織田信長が上洛(京都に来る)してくると三人衆は逃亡し
摂津の豪族が次々と降伏していきました。
戦わないで降伏することを潔しとしない勝正は勇敢に戦います。

信長は池田城を見下ろす五月山に陣を張り、総攻撃を命じます。
一番乗りを争い池田城の外構に乗り込んだのは
梶川平左衛門と魚住隼人ですが
梶川は腰骨を槍で突き上げられて落命し、魚住は負傷して退散

勇敢果敢な池田衆の迎撃より、池田城は簡単には落城しません。
熾烈な戦いで両方に死傷者が大勢出て大激戦となりました。

信長の伝記である「信長公記」にはこの熾烈な戦いを
臨場感あふれる文章で伝えています。

互いに討ち死にするものが多くなかなか決着のつかないことに
業を煮やした信長は「火をかけ町を放火候なり」と
池田の町に火を放って城を孤立させ、
長期戦に持ち込む構えを見せました。

池田の町が火の海となりました。

この時にたくさんの文化財も焼けてしまったんだと思うと
残念でたまりません・・・

そして勝正は「この期におよんで我に利あらず」と降伏を申し入れます。
この合戦はたった1日で終わりましたが
勇敢に戦った勝正を信長は賞賛してお咎めはせず人質を入れる条件で
勝正に今までの所有権を認める特別の処置を行い
池田城に池田勝正、高槻城に和田惟政、伊丹城に伊丹親興を配して
「摂津の三守護」として領国配置を行いました。

また勝正は室町幕府より摂津守護に任じられて、摂津をおさめました。

こうして池田家は勝正の代で、今までにない社会的地位を得ることとなります。
そしてまただんだんと一族の和が乱れ、お家騒動へと流れていきます。

つづく・・・↓
池田城物語⑧/荒木村重に池田城を奪われる!下克上/大阪府池田市の歴史

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池田氏についてさらに詳しく知りたい方はこちらをご覧ください(^_^)/

戦国大名池田勝正研究所 
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ♪

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信長が五月山に陣を張り、池田城を攻めるあたりは
池田市民でも知らない人が多く、話すと驚かれます。
こうゆう話を知った上で五月山、大廣寺、城跡公園を歩くと
直角に曲がった道路や、道標などに
いつもとは違う感覚で触れることができます。

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