六斎念仏のヒッツンツン、スットントンは池田の盆行事/大阪府池田市

数年前に池田学講座を受験したのですが
その時の参考書に出ていた「ヒッツンツン」なんじゃこりゃー(~o~)
なんだか不思議な響きで、気になっていました。
池田学講座(検定)は初級に合格しました(^^)/

ヒッツンツンとは六斎念仏のこと

平安から鎌倉時代の間に京都から広まったとされています。
先祖を供養するお盆の行事で太鼓や鉦を鳴らし家を回る念仏講というグループのことです。
先祖の霊は「ソンジョ」さんと呼んでいて、
綾羽ではしんぼとけは一度お盆をすまさないとそんじょさんの仲間入りはできないとされていました。
六斎念仏とは民間信仰のことで、北摂地域に多く信仰されており
それは戦前まで続きました。

ヒッツンツンというのは、鉦や節の調子やリズムを覚えるために
畳や膝を打ち鳴らして拍子をつけたものからとられていて
スットントンイッツンツンとも呼ばれています。

どのようにして行われていたのか

地域により様々ですが8月13日の朝に阿弥陀来迎図を掛けて供え物をし
過去帳を置いた経机の両側に提灯を飾って
その前で講員が念仏や和讃を唱えるために各家をまわりました。
講員は浴衣に袈裟、太鼓が前列で鉦を持つ人が後列にまわりました。
太鼓の打ち方は数種類あり、乗ってくると立ち上がって打ち鳴らしたといいます。「七つばち」「二つぬき」「五段」「打ちかけ」という太鼓の打ち方がありました。
京都では踊りがあったそうですが、池田ではなかったそうです。
13、14日は自分の村で、15日は伊丹まででかけることもありました。
翌日に各家にお布施を受け取りにいき、2~3銭、米なら2~4合でしたが
時にはからっぽの包みもあったといいます。
そのお金で太鼓の修繕などもしました。

各地のヒッツンツン

建石町・上池田
下渋谷から7~8名のヒッツンツンが毎年八百屋のところに来た
浴衣を着てヘコ帯をしめ、白タビを履き太鼓と鉦を打ち鳴らしていました。
八百屋ではラムネとスイカを出していた。

下渋谷
導師の鉦が二人、その間に太鼓が五人入り立ったり座ったりしながら
村中をまわり、道ばたの仏やお墓でも供養をした。
若手が布施を集め、16日にその布施で宴会をした。

城山町
薩摩絣に黒い帯をした2~3人の男が太鼓を叩きながらお地蔵さんをまわり
御経を唱える。

尊鉢
13日、14日の夕方に村を回った。
鉦と太鼓がそれぞれ4人づつの巡礼団でシンボトケの家を優先して回りました。

神田
ツンツラツンと呼ばれていたようで、
河原島あたりの人が来て鉦と太鼓を叩き

シンボトケのために作ったアラタマのところに来てもらう

昔の行事などを調べていると、不思議な響きのことば出てきます。
へっついさんや、トンド、ブリブリ、ハッサク、サナブリ
また資料が揃いましたら書いていきたいと思います。

川西の加茂町ではヒッツンツンの保存会があって伝承されています。
またヒッツンツンについて新しいことがわかりましたら追記していきます。

参考文献/池田市史第五巻・池田学講座



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