ヘンコツヤの新銀巳之助氏は大正時代の池田で繁昌した足袋屋の主/池田市人物

大正10年に発行された池田町便覧を見ていて
気になった写真の一つ
ヘンコツヤの新銀巳之助氏

新銀さんというお名前にまず惹かれる。
名前由来ネットで調べてみると、しんぎんさんとお読みするらしく
現在では全国に約40名しかない珍しいお名前で兵庫県が一番多い。
調べていてわかったことは、新銀巳之助氏はもともと尼崎のご出身でした。

ヘンコツヤという屋号からして
ちょっと個性的な店主だったのでしょうか
”ネギル人にはうりません”というのを広告に入れてしまうとこが
なかなかのヘンコツぶりですね(^^)
この広告を見てるだけでも、ご自身の写真を掲載したり

なんかいろいろ想像できる、気になるものです。

メリヤスというのは、ニットのことです。
要するに、服飾雑貨店ということになるのかな
私も15年ぐらい、石橋で服飾雑貨展を営んでいたので
大先輩にあたります(^^)/

明治41年に組織ができた同業組合 雑貨小間物商組合員の中に
新銀巳之助氏のお名前がありました。

大阪市立商業学校卒
尼崎出身で大正4年に南新町に来た。

ヘンコツヤ商店は南新町にあって
メリヤス雑貨、帽子、肩掛類を販売していた

西之口百貨店に支店を開き、弟の徳一氏を主任に据えた。
日の本足袋の代理店を特約して本店支店ともに繁昌しました。
商才に冨む兄弟だったようです。

西之口百貨店
大正10年に北摂信託が開業した西之口町百貨店で、
敷地は80坪を13に間仕切りして文具・玩具・金物の直営店、
高橋久太郎商店硝子店出張所、ヘンコツ屋商店、藤為骨董店、
他には履物店、袋物店など様々な店が入りました。
店頭の装いは常に人目を惹くものであったそうです。
この百貨店を当時の地域の人々は「西之口の勧商場」と呼びました。
西之口には呉服座や松平写真館があり大変な賑わいをみせました。

また何かわたかりましたら追記更新いたします(^^)/

最後までお読み頂きましてありがとうございました。

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