一乗院は石田三成の子供が軍旗に包まれ落ち延びた寺/池田市

鉢塚の一乗院をご紹介します♬☻☻♫•*¨*•.¸

石田三成の子供が軍旗に巻かれて落ち延びてきたという
まさかの言い伝えがあるお寺です。

■山 号 多羅山
■宗 派 真言宗
■ご本尊 聖観音立像
■開 基 行基菩薩

■住 所 池田市鉢塚2-7-26
■最寄駅 阪急宝塚線 石橋阪大前駅

一乗院はすぐ近くの釈迦院と共にあった若王寺の「塔頭」の一つとして
行基(668年から749年)が開きました(^^)/

塔頭(たっちゅう)とは、、、
大寺・名刹に寄り添って建てた塔や庵などの小院のこと。

【若王寺】
応神天皇のお母さん(神功皇后)が

朝鮮の王様から「お釈迦様」が持っていたという「鉄鉢」を
献上されて持ち帰りましたが、当時はまだ日本に仏教が広まってなくて
どう扱ったらいいのかわからず、鉢塚古墳に埋められていました。

それから数百年後・・・
やがて行基菩薩が近畿行脚の際にこの地に訪れ1泊した時、、、

観音菩薩が夢に現れて、鉄鉢が埋蔵されているとお告げがあり
目が覚めたあと、すぐにその地を発掘したところ鉄鉢を発見。

ことの重大さに、驚いて早速朝廷に報告したところ
天皇の勅願により若王寺(にゃくおうじ)の寺号を賜り
素晴らしいお寺が建てられたということです。
この石造りの鉄鉢は今でも釈迦院の宝物とされています。

尊い鉢が埋まっていたことで「鉢塚」と地名がつきました(^^)/

814年には弘法大師が留まり、
本尊 雨宝童子・春日竜神の像を彫られて祀られたと伝わっています。

一乗院にある仏像は全て「池田市の文化財」に指定されています。
仏像の拝観は一定の期間のみ公開となっております。

1573年 織田信長の兵火により焼失
1638年 秀英より再興され、
1834年 快竜により復興しています。


176号線沿いにあるので、見かけた人は多いと思いますが、、、
たまねぎのようなオブジュ?が印象的ですよね

実際にお参りしてみると、独特の空気感に圧倒されます。

本堂

本尊 木造 聖観音立像(藤原時代)
脇待 木造 多聞天(毘沙門天)立像 (藤原時代)
脇待 木造 春日竜神立像 (室町時代)





融通尊堂

本尊 木造 雨宝童子立像 (鎌倉時代)
どんなことでも融通してくださる仏様として
多くの方がお参りに来られます。

少し中が見えましたが、ただならぬ雰囲気、、、ゾクゾクするよ☻

石田三成軍旗塚

関ヶ原の合戦で徳川家康に大敗して捕らえられ
1600年に京都で斬首されました。

その三成の側室が生んだ子供「千代丸」が乳母によって軍旗に包まれ
尊鉢村まで落ち延びて隠れ住んだそうです。

その後は石田四郎右衞門と名乗り1646年に亡くなったようです。

1801年に子孫と仰る大和屋彦兵衛が、
軍旗を菩提寺の一乗院に収めたと伝わっており、
軍旗は今も保存されています。

※しかし千代丸が実在したかどうかは不確かなんです。

昭和36年12月建立 石田三成軍旗塚

この辺りには石田姓が多いのです。

鐘楼


梵鐘は1755年のもので
戦時中の供出されましたが戻ってきた運のいい鐘です。
鐘楼が白く塗られていてちょっとお寺の中では浮いて見える感じがします。


「融通尊堂」の横にも出入りできる門がありました。

すぐ近くの釈迦院についてはこちら↓
釈迦院【尊鉢の厄神さん】行基菩薩の夢に現れた観音菩薩

最後までご覧頂きましてありがとうございました。

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