小浜宿資料館は山中鹿之助の子孫の館/親切な案内人がいる/宝塚市

宝塚市のノスタルジックな町「小浜宿」を訪れた際に
一番最初に立ち寄ったのが、中心部にある宝塚市立小浜宿資料館!

ここ、めちゃくちゃ親切でフレンドリーな案内人がいるのです!

■住 所 宝塚市小浜5-6-9
■電 話 0797-81-3655
■観覧料 無料
■開 館 10時~15時
■休館日 月曜日・火曜日 年末年始 整理日
■最寄駅 阪急売布神社から南へ徒歩15分

小浜宿(こはまじゅく)とは(^_^)/
15世紀末から江戸時代に栄えた有馬街道の宿場の一つで
京伏見街道、西宮街道も通り、交通の要衝であった。
名水「玉の井」の地で酒造が発達し、大工衆の町としても名を馳せた。


私が資料館を訪れた時には、他に観覧者はおられず、、、
係の方がとてもとても親切に案内してくださいました(*^-^*)

小浜宿を紹介している15分のビデオを見せていただいたり
館内を説明しながら案内していただけました。

これまでいろんな資料館を訪れましたが
こんなに親切にしていただいたのは初めてでした。
このあと訪れた旧和田家住宅でも、係の方がとても親切で
暖かい気持ちになれました(^^)

小浜宿資料館
玄関横の土蔵がかっこいいです。今は収納庫に使われているそうです。

資料館の建物はもともとは山中家のものでした。
資料館の横には大きなお屋敷があって、

平成まで山中家の御子孫が暮らしておられました。

戦国時代の武将・山中鹿之介幸盛(1534-78)が祖先
そのお孫さんの山中 清直氏が「小濱山中家」と名乗ったのが始まりです。

扇屋を買い取り酒造業を営み、小浜の清酒が江戸で評判となりました。

2代目、3代目と酒造業を営みますが、
4代目山中宗兵衛の代から「山中良和」と称して
医者となり、
酒造業を廃業。

明治期に良和氏の次男、昌隆氏が2男2女を設けますが
2男は早くに亡くなってしまい、、、
長女の和江さんが医者として家を継ぎましたが、
昭和59年に亡くなります。

その後、次女の光子さんが跡を継ぎましたが
平成18年に92歳で逝去され、子どもがなかったので

ここから家督を継ぐものがいず、山中家は断絶しました。

資料館の建物は、宝塚市が山中家から買い取り

平成18年まで光子さんが暮らしていたお屋敷は宝塚市に寄付されました。

館内には小浜地域の歴史や、大工道具、制札、昔の医療器具なども展示されており、小浜のまち並みのジオラマはとても見応えがありました。

資料館と山中家の間に庭があって、そこにあるのが
名水「玉の井」で知られた井戸です。
普段は公開していないようなのですが、見せてくださり
井戸の蓋をとって中を見てみると、、、、

井戸の中をまじまじと見たのは初めてで
ちょっと、言葉も出ない、感動とも、感激とも違う
どちらかというと、ゾクっとした感じがしました。
とても深くて、まわりは石で組んであって、底には水がたまっていました。

戦国時代、、、
有馬温泉に湯治に行く豊臣秀吉が毫摂寺に宿泊した時に
同行していた千利休が、この井戸の水でお茶をたてたそうです。

↓こちらは毫摂寺です。 
豊臣秀次が見初めて側室に迎え、悲しい最期を迎えた亀姫の実家。


堂坂遺跡の壷と古銭 開催中でした(^^)

いろんな資料をいただきました。

資料館前の通り 手前右側は代官所跡

最後までご覧いただきましてありがとうございました。
小浜宿の案内人の方々が親切で、暖かいおもてなしをしてくださり
とても感激しました!
他にも小浜宿を散策した記事を書いています( ・◡・ )♫•*¨*•.¸¸♪

小浜宿のいわし坂は売布神社から歩いて行ける異空間/宝塚市

小浜宿の毫摂寺(ごうしょうじ)は亀姫の悲話が伝わる

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ノスタルジックな小浜宿をブラブラお散歩の総まとめ

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