池田城物語①池田氏のはじまり/藤原姓を名乗っていた/大阪府池田市の歴史

大阪府池田市にあった池田城の城主池田氏のお話を
わかりやすく簡単に書いて行きます。

たくさんの資料を読み合わせて書いておりますが

歴史の研究家ではありませんので間違いがあるかもしれません。
どうぞお手柔らかにお読みください。
おつきあい宜しくお願いいたします。

池田氏はもともとどこから来た何者なのでしょう?
確実な資料がないのではっきりとわからなくて
今までいろいろな説がありました。

池田氏の系譜(家系図)は所有者が4人もあって
その伝えは様々で決め手になるものがありません。
系譜を総合してみるとその祖先はかなり古くて
鎌倉時代にはすでに幕府に仕え、豊島郡を領し豊島にお屋敷(居館)を
かまえていたようです。

現在では池田氏は藤原姓を名乗っていたことが
いろんな書物などからわかってきてきました。
南北朝時代(1300年代)には北摂の在地勢力として
頭角をあらわし、力をつけていったようです。

↓こちらは鉢塚の釈迦院にある「宝篋印塔」
鎌倉末期に作られた供養塔で「藤原景正」のものと伝えられています。



例えば連歌師の牡丹花肖柏が歌集「春夢草」の内容を綴った説明文に
池田正盛を藤原正盛と記しています。
他に池田市神田の常福地や鉢塚の釈迦院にある塔にも
藤原景正の銘が刻まれています。
こうなると、藤原を名乗っていたのは間違いないということになります。
昔は通称に地名を使うこと多くあって
池田氏も通称として名乗っていたのかもしれません

お城は1336年に文献上で初代城主の池田教依(のりより)
が築城したとされる説もありますが断定できるものではありません。
五月山を背にして西は猪名川を、東南部は杉ガ谷川を利用して
城を築いたとも言われています。
この教依は跡継ぎがおらず、楠木正行の遺子を養子にし
正行の正をとって、教正にしたことが「松屋筆記」に記されています。

池田城は1436年までには確実にあったとされています。
陽松庵や大廣寺ができた頃です。

池田氏は荘園を横領したりしながら
国人と呼ばれる領主層に成長します。
荘園は古代から中世にかけて全国に広がった私有地の一種で
貴族や力の強い寺が所有しており
荘園の管理や年貢徴収を地元有力者に任せていました
有力者はじわじわと所有者から荘園の支配権を奪い取り
年貢を元手に私腹を肥やすものも現れ周辺荘園への勢力拡大をすすめて
境界や支配権争いをすることもありました。
池田氏もそのようにして勢力を高めて来たと思われます。

そして室町時代後期には北摂の有力な在地勢力として
細川家の下級官庁の地位を得ることになります。

15世紀後半に活躍する池田充政
細川荘の一定の得分を収得する権利を手に入れたり(本家職分)
攝津国桜井郷の大官職を得ていたことが
残された古い日記(建内記)に記されています。
つづく・・・↓
池田城物語①池田氏のはじまり、藤原姓を名乗っていた
池田城物語②応仁の乱に参戦し落城から復活
池田城物語③/池田城落城で池田貞正が家臣とともに大廣寺で切腹、血天井
池田城物語④/久宗(池田信正)が池田城を奪い返す!
池田城物語⑤/久宗(池田信正)突然切腹を言い渡される!
池田城物語⑥/細川政権が終わる、池田長正の時代
池田城物語⑦/池田勝正は織田信長と勇敢に戦い池田城は落城
池田城物語⑧/荒木村重に池田城を奪われる!下克上/大阪府池田市の歴史

池田の郷土史研究をされている中岡嘉弘さんの講演です(^^)

↓こちらは池田城から出土したお茶碗です。
 池田市立歴史民俗資料館に展示されています。(許可を得ています)

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
池田氏についてさらに詳しく知りたい方はこちらをご覧ください(^_^)/

戦国大名池田勝正研究所 
世界唯一、摂津国豊嶋郡に生きた池田筑後守勝正を紹介するブログ♪
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

スポンサーリンク
Sponsored Link
Sponsored Link

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする