むかしむかし、けっこう昔のこと。
「あわんど池」と呼ばれる深い池がありました。
江戸の頃に作られたその池は、白蛇やカッパが住むとうわさされる、
どこかじめっとした、森に包まれた場所でした。
その池のそばに、小さな貧しい小屋がひとつ。
そこに住むのは、若くして夫を亡くしたひとりの女。
人目をひく美しさから、村人たちは「キツネが化けてるんじゃないか」とか、
「池のカッパが面倒を見てるのかも」と、ささやき合いました。
身よりも畑もなく、女の暮らしは苦しくなるばかり。
やがて彼女は、幼い子どもを預かることで生計を立てるようになります。
けれど、それは……
ほんとうの「養育」ではありませんでした。
――「お母さんが、池で待ってるよ」
そう言って、子どもの手を引いて、
女は夜になると、池へ向かったのです。
静かな水面が、月を映しながら、きらきらと揺れる夜。
風もないのに、水がそっと揺れるとき、
それは――子どもが、またひとり、
池の底に溶けていった合図。
ある晩、若者が池のほとりでまどろんでいたとき、
ふとした水音で目を覚まし、見たのです。
水に沈んでいく小さな影と、鬼のような顔をした女の姿を。
村に知れわたったその出来事。
女は静かに口をひらきました。
「……これで、七人めです」
村人たちは、亡くなった子どもたちを想い、
せめて魂がさまよわぬようにと、小さなお地蔵さまを池のそばに建てました。
それが、今に伝わる「辻地蔵」のはじまりです。
いまでも、池の水は深く、夜になると静かに呼吸をしているように見えます。
ときおり風もないのに水面が揺れるのは、
きっと子どもたちの魂が、お地蔵さまのそばで遊んでいるのかもしれません。
もし、あなたがその池の前を通ることがあれば、
どうか、その手を合わせてみてください。
目を閉じれば、水の向こうから、
ちいさな声が――「ありがとう」って、聞こえてくるかもしれません。
辻地蔵の目はいつも伏せられたまま。
けれど、やさしく風を受けるその手は、
きっと、静かに子どもたちに届いています。
……あの女の人も、
ほんとうはただ、誰かの愛が欲しかっただけなのかもしれない。
けれど愛されることも、許されることもないまま、、、
それでもホッとしたのかもしれない、、、
それでも今、
お地蔵さまのそばに手を合わせる誰かのぬくもりだけが、
池の水を、少しだけやわらかくしているのです。