「キツネとタヌキ」は昔話や民話によく出てきますが
池田にもキツネとタヌキが出て来るお話しがけっこうたくさん残っています。
キツネは農村的、一般的であり
タヌキは町や特殊な信仰の基づくものと考えれるそうです。
特に稲荷信仰は、幕末から明治初期にかけて爆発的に流行しました。
尼崎から来ていた魚屋が、
帰りに川西市の加茂でキツネに化かされて池に落ちた話は
「狐のしかえし」という題で池田の昔話になっています。
これは因果応報のお話しですね。
池田で「尼」のつく魚屋さんは、もともと尼崎から行商に来てたようです。
明治中頃の不作の時に、キツネに餌を与えていた市左衞門の家では
キツネが田植えをしてくれて二倍の収穫があったという話も、
「狐の恩返し」という題で池田の昔話になっています。
これはココロ温まる、人間と動物の愛のあるお話しです。
ここから稲荷せんぎょが始まったのではないかとも言われています。
上記の物語や他にもいろんなお話しが納められていますが
市立敬老会館に集う「旧跡をめぐる会」の方々が
50編の「昔ばなし」と22編の「年中行事」を
まとめてくださったもので昭和57年に発行され
池田市立図書館で読むことができます。
池田の恐怖スポットとして噂される「おんばのふところ」は
センギョという行事があって、冬の間はキツネも餌が少ないだろうと、
赤飯と油あげを竹の皮でつつんでキツネのいそうな場所に持っていった
池田の代表するキツネのお話しです。
↓こちら以前書いた記事です
おんばのふところ/稲荷せんぎょ/池田市の恐怖スポット
各地域に伝わるお話いろいろ、、、
綾羽
指物師が家具を納めに伊丹に行った帰り、
川西小学校のあたりの田んぼまで来た時に、急に荷物が軽くなって
見るとイナリ寿司がなくなっていた。
木部
豆タヌキの八畳敷のキン○マをかぶせられ、目の前が真っ暗になった話。
青年団がショウノミ堂に行く途中砂をかけられた。
猪名川の中橋の東詰にゴミを集める場所があって、その端の松の木から
夕方に豆タヌキが砂を投げると言われた。
秦野
秦野小学校の南に狐薮と呼ばれた竹藪があった。
西畑ではキツネがよく出る辻を女郎垣内といいました。
ご馳走を持って帰る時に、キツネが縞の着物を着た女に化けて
「お兄さん」と言い寄り手をつなぎに来た。
村人が「どキツネ」と言って女の手をつかむと、
女はキツネの姿に戻り逃げていった。
ある巡査がご馳走を持って歩いていたとき、
それをキツネにとられそうになったが
それを離さずにいたら帽子をとられてしまった。
辻が池のあたりでは、キツネに騙されやすい場所だった。
キツネはマッチをつけると消えてしまうので、婚礼の宴会からの帰り道で
折り詰めを持って夜道を歩く時はマッチを持っていった。
上渋谷の自性院の東の塀で「夜なべしもたか、ツルベおろそか」と言って
タヌキが砂をかけてきた話がある(タヌキは足で砂をかけるらしい)
尊鉢のチンチン坂にもタヌキが出ると言われている
北豊島
ご馳走を持って石橋に戻る時に、長山のミカン畑の柿の木の下で
キツネにだまされた。野壷を温泉と間違えて入り、ご馳走をとられた。
一番電車が通るとキツネが山に帰った。
最後までお読みいただきましてありがとうございました(^^)/
池田にはほかにも蛇、熊、龍などにまつわるいろんなお話しがあります。
ミーさんとたまよしさん(巳・蛇神)のお話し
池田に熊のお墓がある!弘誓寺
池田の龍のおはなし/寿命寺の雨乞い竜/大廣寺の白い龍/五月山の龍
参考文献/池田市史・池田昔ばなしと年中行事