昭和5年~平成5年まで約60年間、池田市で営業していた
「五月通り商店街」をご紹介いたします!
おしゃれな看板には「五月通」と書かれていますが
池田市史では「五月通り商店街」と紹介されていました(^^)/
↓こちらカワムラ商店さんで購入した昭和初期の地図です。
こちらは五月通商店街と記載されていますね
「五月通り商店街」は井戸の辻の西、めんも楼の隣にありました。
木造二階建ての店住併用型の長屋が二棟で、
池田で戦後から平成まで”集合店舗”として生き残ったのは
この「五月通り商店街」だけだそうです。
他には本町公設市場や新町市場などがありました。
さて、どんなお店があったのでしょうか(^^)/
図↓は「昭和初期の池田」よりお借りしました。
昭和初期の池田より抜粋
西田蔵之助が所有する酒蔵を取り壊した跡地200坪に新築した集合店舗。
中央通路は幅3メートルのセメント舗装をし
前後の入り口にはスズラン模様のアーチをつけていた。
当時は池田の心斎橋とも言われ、賑わっていました♪
水道が引かれていなかったので、2か所に共同井戸があった。
開店後に商店の退出が多かった。
戦後、火災によって西側棟の北半分が焼失した。
平成5年に東側を解体。
平成7年1月の震災で残っていた西側家屋が全部解体される。
↓共同井戸が一つだけ今も残っていると聞いて見に行ってきました。
五月通り商店街の井戸とお稲荷さんが今も残っていた
本町の井戸
深くてきれいな水が湧いていたそうです。
町には共同井戸があって、8月には利用者が井戸替えを行いました。
今でも池田を歩くとあちこちに井戸を見かけますよね。
こちら↓以前に井戸の辻の井戸について書きました。
井戸の辻の井戸が発見され石組みが確認されるも埋め戻される
みーさんとたまよしさん
池田市史にこんな↓内容が掲載されていました。
旧加島銀行(カワムラ商店)の東側にあった五月通りに
ミーさんとタマヨシさん(ミーさんの一種)が祀ってあった「ミの小路」という場所があって昔々は神に仕えるミーさんが集まっていたという。
参考文献
昭和初期の池田
池田市史