池田のえらいこっちゃ歴史「誓文払い」と百貨店/池田市

年末、池田市内でも様々なセールが行われていますね(^^)/
石橋では年末だけでなく、おはこ市が開催されたり、
ブランマルシェでも大売り出しで福引きもやっておりますが♪
セール、バーゲンと聞くと心踊るような気分になるのは今も昔も一緒のようです


さて、いきなり話は飛びますが、
300年ほど前の池田でも十二斎市というお店がいっぱい出る日があって
毎月とびとびに12日間ほどの市を立てて、大賑わいしましたそうです。
食べるもの、着る物、器、薪、炭など何でも売っていたそうですよ。


「山家なれども池田は名所 月に十二の市がたつ」
という、杜氏(酒造りの人)の唄は有名ですね(^o^)

大正時代に入ると、誓文払いというセールが開催されるようになります。

誓文払いとは、京都で始まったセールのようなもので、
商人や遊女などが、商売の駆け引きで、客にうそをついた罪を払い神罰を免れるため、京都四条寺町の官者(かじや)(冠者)殿に参拝する行事。
近世以来行われ、この日を含めて前後数日間、罪滅ぼしと称して
京阪の商店では特売などが行われる

池田では大正10年~昭和5年頃は北新町~西之口町が、
昭和5~10年頃は元新町~本町が盛んであったようです。

12月の1日から5日間だったり、3日間だったりその時によって様変わりしていたかと思われ、夏の誓文払いという記述も見られます。
チンドン屋さんが和紙に書いたチラシを配ったり、ポスターをいたる所に貼ったり
抽選券によるタンスや水屋などが当たる福引きがあり、能勢の焼き栗やあげ饅頭も売られていました。

そして、大正時代に百貨店が大都市に出来はじめますが
なんと!池田の西之口町にもできましたのです!
今でいうと、寿命寺の近辺になります。
↓こちら以前に書きました記事でございます♪参照してくださいませ
池田には大正時代にも百貨店があった!西之口町百貨店


梅田には昭和4年頃、あの阪急百貨店が開業し

同じ頃に三越百貨店がよりによって!池田で売り出しを企画しました。

池田の商店街は北新町から西之口、本町にかけてで、
商店街組合のようなもの「呉商会」がありまして
(今で言う、商店街組合のようなものかと思います(^^)/)
毎年12月には、誓文払いを開いて買い物客を集めていました。
歳末大売り出しや、バーゲン、セールのようなものです。

この池田の誓文払いに合わせて、三越百貨店が池田駅前にあった
魚治楼を借りて、呉服や小間物などを売り出そうとしたのでこれは大変!
えらいこっちゃ!右往左往の大騒動でございます(*_*)


池田の呉商会はもちろん大反対運動を起こし
池田町としても三越に中止を依頼しました。
というのも、昨年、川西に百貨店が出張売り出しに来た際
こてんぱんに打撃を受けたのを知っていたからなのです。

結局、三越が引くことで出張販売はなくなり、ほっとし、
あ~よかったと、この騒動は幕を閉じました


と、ところがでございます(~o~)
翌年に呉商会の会員が池田に百貨店をOPENすることになり・・・

呉商会の会員達は青天の霹靂で非難続出のブーイングでございます。
どないなっとるねん!裏切り者!という感じでございますよね

それでもこの百貨店はオープンするのです。
池田の糸屋さんが百貨店の経営を始めるということで
「いとや百貨店」と名付けられ北摂では初めての百貨店ともてはやされ
屋上でイベントまで開催される賑やかぶりだったそうです。

これも、時代の波には早かったのか、衰退していったと言われております。
呉商会の皆さんを裏切ったような形だったのも良くなかったのかもしれません。

令和となった今もその姿は残っておりますのですよ。
エコミュージアムの入ってるビルがまさしくいとや百貨店跡なのです。
↓こちら以前に詳しく書きましたので、ご覧くださいませ(^^)/
旧いとや百貨店/糸屋(近代建築)/前田金吾


昭和5年、2月には池田町本町の公設市場が火災で焼失しました。
町会が再建の決議をあげて、新しい店舗を建設し7月に再OPENすることが出来ました。
市場では福引き付きの売り出しに花火で盛り上げ、呉商会も夏物誓文払いをはじめ
夜店も出て本町から北新町まで大賑わいの大繁盛となったそうです。

その後戦争でお祭り騒ぎもできなくなり
戦後の昭和22年に誓文払いが復活します。
商店街には提灯が飾られ、サーカス小屋や100以上の露店が出店
福引き券も配られ、能勢や豊能、川西方面からも客が訪れた
連日、朝から晩まで肩が擦れ合うおどの大賑わいだったそうであります。

そんなこんなで、池田は300年も前から商人や、
それを求める人々で大変賑わったマチということでございます。
三越が池田で出張販売をすると言った時に断固反対して中止にしたことは
その当時の商売人さん達にしたらラッキーだったことだけど
もしこれが本当に決行されていたら、池田にとって長い目で見ると逆にいいことになったのかもしれないなと、新しい風を受け入れない気質というのはその頃からあったのだなと思いましたのでございます。最後はちょっぴり辛口で✲゚。.(✿╹◡╹)ノ☆.。₀:*゚✲゚*:₀。

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