原田神社は昔ながらの商店街のすぐ横/能勢街道/豊中市

曽根の萩の寺へ行った帰り道、、、(◍•ᴗ•◍)
お天気が良かったので阪急岡町まで「一駅」歩いてみることにしました♪

↑萩の寺を出て、
住宅地をぶうらぶぅら歩いてると、、、

やがて、、大きな神社にたどり着きました、
この辺りはほんとに古きよき町並みです❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.:*

原田神社と書いてあります
地図で確認すると、、、

萩の寺から約7分、、、もっと歩いたような気がするけどな


中に入ってみると、思ったよりももっと広い神社です。
小学校のグラウンドぐらいあるかなぁ、、、

左の方に四角いぺたんとしたものが見えますが
これは舞台で、祭事の際に使用されるとか、、、

夏には盆踊りが開催されるそうですよ・*:..。o♬*゚・*:..。o♬

【解説】と書かれたご案内を発見💡

原田神社

主祭神 須佐之男命(牛頭天皇/ごずてんのう)    
祭 神 天照大神(あまてらすおおみかみ) 月読命(つきよみのみこと)
    高龗大神(たかおかみのおおかみ) 櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
    天児屋根命(あめのこやねのみこと)住吉大神(すみよしおおかみ)
    仁徳天皇(にんとくてんのう)  菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

創 建 4世紀中頃~5世紀


住 所 豊中市中桜塚1-2-18

この辺りは古墳が多く、
古墳には豪族で、国に功労のあった人々が入っているので
古墳に桜を飾ったことから桜塚古墳群と呼ばれているのだそうです。

1578年に荒木村重と織田信長の兵火にかかり、
境内社の十二社殿本殿及び神宝等を除き全焼。
仮殿を経て1652年、現在の本殿が再建された。
元は桜塚神祠(しんし)とも牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とも呼ばれていたが、
1685年に神祇管領(じんぎかんれいちょうじょう)の吉田大納言家から
「原田大明神」の神号を得て現在の社名となった。

✩*⋆¸¸.•*¨*\(๑•ᴗ•๑)/*¨*•.¸¸⋆*✩

こちらは桜塚古墳群の中でも大きい「大塚古墳」
原田神社から歩いていけます♪

拝殿と本殿(本殿は国指定重要文化財)

次々に人々がやってきて、丁寧にお参りされていきます。

本殿 
五間社流造(ごけんしゃながれづくり)国指定重要文化財。

棟札(むなふだ)から1652年の建立と判明。
全国的にも珍しい五間社流造(ごけんしゃながれづくり)の形式で
正面に千鳥破風(ちどりはふ)および軒唐破風(のきからはふ)がみられ、屋根は桧皮葺(ひわだぶき)。材料工法ともに上質な江戸時代前期の建築。

摂社 十二神社本殿 市指定有形文化財


この社殿は、三間社流造の形式で、屋根は桧皮葺(ひわだぶき)

極彩色が施してあった痕跡がいまも僅かに残っている。
建立された時代を明らかにする資料はないが、17世紀初頭の建築とみられているが、細部形式には桃山時代の特色を持つ様式もみられます。

稲荷社 宇賀御魂神(うかのみたま)を祀る

ウカノミタマ
日本神話に登場する女神。 
名前の「宇迦」は穀物・食物の意味で、穀物のである。


こちらはおそらく御旅所

もと原田地区にあり、明治末にここに移されたとか

北側の鳥居

神社を出たらすぐ商店街になってるので、人の出入りがけっこうあります。

商店街側から見るとこんな感じ♪

天保4年(1832)の灯籠

原田神社大鳥居

ここが正面玄関みたいな感じかな
右は能勢街道、今は商店街です。

商店街を歩いてみると、ここにも(◍•ᴗ•◍)

商店街がすぐそばにあって、いろんな所から入れます♪
お買い物帰りの方々が通ったり、子どもたちが遊んでいたり♪
街の人々に大切にされた憩いの場みたいな神社でした。



最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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