受楽寺は春団治と深い縁がある/西国街道/池田市

池田市豊島南の
龍華山 受楽寺(じゅらくじ) 浄土真宗 本願寺派

石橋の春団治祭りの時には「春団治」の法要が行われることで
よく耳にしているお寺なのですが、今回初めて訪れてみました 🙂 

所在地

池田市豊島南2-3-10
先日ご紹介した、弁慶の泉のすぐ近く。
旧西国街道沿いにあります。
阪急電車の石橋阪大前から歩けない距離ではないけど、けっこうあります。

私は自転車で行きましたよ( ・◡・ )♫•*¨*•.¸¸♪

創建

天正元年(1573)伊那部の子孫である「稲津太一郎」は
仏門に入り僧となって開祖、受楽寺を創建。

※伊那部とは、大和朝廷で木工技術をもって仕えた豪族

※1573年というと、、、
 荒木村重が織田信長に忠誠を示した年と信長公記に書かれています。

ご本尊

阿弥陀如来立像 室町末期の作
高さ55,5㎝ ヒノキ材

頭部と体部のバランスが不自然で、
頭部は天正元年製作、体部は後補作ではないかと言われています。
元禄年間にあった火災の時に頭部だけ助かったのではないか。

脇には江戸時代の「親鸞聖人」「蓮如上人」の絵像が安置されている。

本堂

創建当時の本堂は元禄時代に全焼
現在の本堂は再建され、修復を重ねて200年以上経ちます
平成7年の大地震で大きな被害を受けましたが修復されています。

門が閉まっていて中には入れなかったのですが
門の向こうに見えている大きな屋根が本堂かな、、、

ぐるっとまわりを歩いてみましたが、

街中にあるお寺では、大きなお寺です。

梵鐘

戦時中、金属回収で供出されてしまい、昭和46年に改めて鋳造されたものです。

春団治との縁

春団治というのは、明治から平成まで続く落語家のことです。

初代春団治は型破りの芸風と破天荒な生き様で唄や芝居・映画の題材となり
数々の伝説を生んだ方のようですが、、、
1934年、胃癌により死去。享年57。
天王寺にある一心寺に骨仏として葬られましたが、
大阪大空襲で他の骨仏とともに焼失しました。

二代目春団治は受楽寺の17世住職と親交が厚く、しばしば寺に訪れていました。
これが縁になって、三代目春団治と19世住職とも親交が生まれた。

三代目春団治は、初代春団治と二代目春団治の功績を偲び、
初代の遺骨がわからなくなってしまったことにも心を痛められ

二代目との関わりがあったこの寺を春団治歴代ゆかりの寺とし、
平成10年8月に「春団治碑」を一門とともに建立しました。

三代目春団治は平成28年死去
3代目が大好きだった花はハナミズキでした。



毎年、ゴールデンウィークの頃に石橋商店街で
「春団治祭り」が大々的に開催されます。
たくさんのお店や催し、落語会があって盛り上がり
池田中がお祭り騒ぎ♬☻☻♫•*¨*•.¸楽しい時間となります。


今年も私は中岡さんと本を売ろうと出店予定にしていましたが
新型コロナの影響で中止になりました。

寺小屋

幕末から明治にかけて、池田には寺小屋がたくさんありました
受楽寺も寺小屋として営まれていました。
小学校が設立される以前に庶民に対して初等教育を授ける場となっていた。

気になったこと

お寺のまわりを歩いてみると
こんな石碑が建っていました。
ここで工事をした時に人骨が出てきたのだそうです。


最後までお読みいただきましてありがとうございました。
豊島南は久しぶりに行きましたが、古いお家やお寺が点在しており
西国街道が箕面川に沿って走る、たくさんの歴史を発見できる地域です(^^)/

参考文献/池田歴史探訪・池田市史

西国街道沿いのお寺をいろいろご紹介しておりますので
どうぞお読みくださいね♬☻☻♫•*¨*•.¸

正光寺は夜泣きの中納言石とエドワード・ハンターの娘の墓がある

順正寺は500年の古刹「橋川三美先生頌徳之碑」「祝氏累世墓」

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