望海亭跡は豊臣秀吉も来た五月山にある東屋/山川正宣/池田市

先日、愛宕神社に行った帰りに望海亭跡にも行ってきました(^^)/
先日の愛宕神社参拝の記事はこちらからどうぞ↓
愛宕神社はがんがら火祭り/愛宕火の点火をする五月山に鎮座する神社

五月山にはハイキングコースがいくつかあって
わりと気軽に楽しめる感じなのです♪かわいい名前がついてます
↓全体図はこんな感じで所々にトイレがあったり案内版もたくさんあるので
迷子になったりすることはまずないと思います。

望海亭跡は赤い印のついてるとこです↓
私は大文字コースを行って、五月台コースで戻ってきた感じです。


愛宕神社に別れを告げ、さぁ下山しようかなと思ったらこんな案内版を発見
「望海亭」は聞いたことがある、行ってみよう♪

案内版が指す方向へ行くと、なかなかの自然道。
鳥の声が聞こえて、風の音がして、気持ちいいところ、まるで森林浴。
頭からっぽにしてただ自然と一体になる感じがします。


またすぐに案内版が出てきたので迷わずに安心してすすめました。

こんなのどかな道を誰にも会うことなくのんびりと歩きます。

どうやらここ↓が望海亭跡のようです。
少し開けた感じになっていて、石碑がひとつ建っています。
何も知らなければ、特に素通りしてしまうような感じ。


今から500年以上前、
1480年に大広寺住職「祥山和尚」がここに東屋を建て
望海亭と名付けました。
※池田氏が建てたという小さな別邸という記述もあります。

現在は木々が生い茂っていますが、生駒、葛城、和泉から淡路島までが見渡せたそうです。見晴らしいいはずなのに今は見えなくて残念です。

300年あまりの間、多くの詩人、文人、墨客がここを訪れて風月、風光を鑑賞し詩文を残しました。

そして愛宕神社の傍に湧く名水を汲んで豊臣秀吉が茶を喫したとも言われています。

しかし1804年以降は亭も朽ち果てて忘れられる存在となりました。
1841年に酒造家の西大和屋11代目「山川正宣」はこれを残念に思って
後世に伝えるため「望海亭記」の碑を建てました。
碑文は「横川景三」の文を選び、書は「呉策」に頼み、中国風の石碑にしました。

古の みやまの庵の跡惜しも 千代まで見よと 残す石文 
(千代とは1000年、または長い年月のこと)

「望海亭記」という文字が表側に593文字、
裏には91文字刻まれています。


180年の年月が流れ、風化して文字が読みにくくなっています。
でもこの石碑がなければ望海亭のことは忘れ去れてしまったかもしれません

この碑は1978年に池田市の重要文化財になっています。
                         

さぁ、山を下りましょう

この辺りから道があるのかないのかわからなくなってきて
あれ?道を間違えたのかな?と思いました
麓の景色が見えていたので心配はしませんでしたが・・・

そういえば、五月山には熊が出るということを思い出して
ちょっとゾワゾワして、大きめの声で歌ってみたり、、、、
熊だけでなく、野生動物に出くわす危険はあるし、いろいろ怖くなりました

やっと道らしい道に出て、階段を降りると大きな道路、ほっとした(^^)/

道路を渡ると、あら?なんだろうと思って近寄ると
朽ちてしまった神社がありました。
狛犬さんが転んでしまって可愛そうな感じ
かつてはこの場所で多くの人が願いごとをしたんですね。
いろんな人々の思いがたまっている場所のように感じました。



    

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