橫岡公園はよくわからない謎公園/織田信長が陣を置いた?池田市

箕面池田線を箕面方面から自転車で走っていて発見した案内版!
池田市内にはこのような歴史案内版があちこちにあるのです(^^)/

ジロジロ👀まじまじ👀見て「ほぉー!」と独り言、、、
”橫岡公園”がすぐ近くにあるではないですか!!

こんなところに公園があるなんて存在すら知りませんでした😲
これはお立ち寄りしなくっちゃ(^O^)と自転車をとめて行ってみまぁす!
公園が大好きなんですー😃



昔はこの辺りは横岡(よこがおか)と呼ばれていましたのです(^^)/

明治時代に開発されるまではとても険しい道筋で
鬱蒼としていた場所だったようで、猪🐗がよく出たそうですよ

わくわく😃しながら、公園へ、、、いい感じの坂道♪
ぐるぐる上がっていく感じです♪わくわくぐるぐる

公園はどんな感じなのか楽しみだなー♪
この感じは期待が膨らむ♬☻☻♫•*¨*•.¸らんらんらん♪


近道する階段もあちこちにあります♪

古墳みたいな雰囲気ですよ(^^)/

近くに茶臼山古墳もあるしね!

調べてみたけども、、、古墳かもしれないし、違うかもしれない、、
よくわからないみたいです。チーン


ベンチいっぱいあります!
枯れ葉🍂の絨毯が良い雰囲気を醸し出しています。

やっと到着した!

なんか、なんともいえん不思議な光景、、、

この小さい階段をとことこっと、上がってみました。
公園全体は、めちゃくちゃ広々してて、誰もいない!

遊具や、ストレッチできる健康器具みたいなやつがあります。
こんな広い山の上で1人でいると、なんか怖くなります、、、
夕方だったんで、日暮れまでには地上に降りなければとあせる☹

祠と石造物がいろいろありました。

どれどれ、と公園全体をキョロキョロ観察
よく見ると、はしっこの方にお祀りされている祠がありました。
こうゆう祠は、大事に祀られているので失礼のないように
ご挨拶(お参り)させていただきました。

稻束家日記を記しはじめた、稻束太忠氏は
池田の地には「日本書紀」にみえる宣化天皇の王子椀子王の
湯休の邑という
伝承があるとし、橫岡に椀子王の小祠を建て、その側に別荘を建てた。
橫岡には稻束家の墓地がありました。

このような記述が池田市史にありますが、
その祠がこの祠なのかどうかはわかりませんが

この”橫岡”の地には稻束家と深くかかわりがあったのですね


掃除道具がたくさんあって、地域の方々に大切にされている感じです。
奥の方にも、石造物らしきものがありました。

まわりは、自然な感じで木がいっぱい

紅葉していてとても綺麗でした。
まるで山の中みたい!、、、と書こうとしましたが、、、
もともと山だったのでした(^^)

織田信長が池田城を攻めた時に陣を置いた場所?

ここは、1568年に織田信長が池田城を攻めた時に陣を張った地ではないかという文献もありました。
昔、「チンヤマ」と言われていたそうで、
「陣山」が訛ったと思われる呼称だそうです。
(呉江舎様のHPより)

色々と調べてみましたが、わからないことだらけ、、、

結局、古墳なのかどうなのかわからず、、、
祠の伝承もわからず、、、
稻束家のお墓がどのへんにあったかわからず、、、
織田信長が陣を置いたのではないかということで確かなことはわからず、、
わからないことだらけの橫岡公園でございまして、不完全燃焼ですが
最後までお読みいただきましてありがとうございました。


でも、景色がすごくいいし人があんまりいなかったので

ゆっくりのんびりするにはお薦めの公園です。
しばらく黄昏れていましたら、
ジョギングの人や、わんちゃんのお散歩の人が来ましたよ♪


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