正福寺は日本の体育の父「嘉納治五郎」と関わりがある/西国街道/池田市

天興山 正福寺 曹洞宗 をご紹介します(^^)/

参考文献/池田市史 池田の史跡

所在地

池田市豊島南1-5-26
この辺りは昔、北今在家と呼ばれ、
西国街道沿いで受楽寺、西宝寺とともに

3つのお寺がすぐ近くに並んでいます。

この正福寺には大きな駐車場があります。



開山

開山は「大本山永平寺五十世玄透即中大和尚」
             げんとうそくちゅうろうだいおしょう

二世とともに1800年頃創建。


戦乱と箕面川の氾濫を乗り越えた本尊

幾度かの戦乱による消失、
箕面川の氾濫でほとんどを失いますが

創建当時の「観音堂」と「十一面観音立像」が残り
この観音像を本尊として再建されました。


本尊の両脇に「如意輪観音」「淮胝観音」
その前に「道元禅師」「瑩山禅師」
両脇には「大元大師」「達磨大師」が安置されています。

本堂

再建された本堂は老朽化し、そこに阪神大震災が起こり、
大きな被害を受けて、
平成15年に現在の本堂が建立されました。


新しい本堂の正面に掲げられている「施無畏」の額は
きれいに補修されていますが

もとは観音堂に掲げられていた額で「麻田藩主直筆」のものです。


住職

当時の住職は代々「尼僧」が勤められていますが
彦根藩筆頭家老の奥方を始め、格式の高い尼僧が入寺しています。

彦根藩上席家老の息女がこの世の無常を感じて出家し、この寺に来た時に
石の観音像を持ってきたと伝えられています。
片膝を立て、肘をささえて憂いている姿。

嘉納治五郎

正福寺は「講道館」創設の嘉納治五郎と関わりがあります。

明治から昭和にかけて日本におけるスポーツの道を開き
「柔道の父」と呼ばれ、また「日本の体育の父」とも呼ばれる。

兵庫県の生まれで教育者、柔道家で東大卒業後学習院に勤め、
明治15年にはストックホルムオリンピックに出場しています。

嘉納家累代の位牌が開祖の木造とともに安置されています。
治五郎の父が書いた涅槃図があり、嘉納家の法要の時に
涅槃図を借用したい旨の治五郎直筆の手紙も残されています。

墓地横のお社

愛宕神社と稲荷社があります。

池田市史の中の記述で
愛宕講は、7~8件で8月23日に正福寺に預けてあるヤシロを拝むとあります。

気になること

本堂横にお地蔵様がたくさんおられました。

このすぐ近くにある西宝寺と同じく
本堂が新しいので、お寺というよりは会館のような印象です。
箕面川の氾濫や、戦火、そして地震によって形は変わっていくけど
そこにお寺があり続けるというのはここに住む人や、かかわる人
通りかかる人にもやすらぎを与えるものですね。

西宝寺についてはこちら↓をご覧ください(^^)/
西宝寺は新しい本堂だけど本尊は350年以上らしい

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