牡丹花肖柏は池田文化の礎!連歌師・花と酒を愛した粋な文化人

大阪府池田市の歴史に深くかかわる
牡丹花肖柏は連歌師で、花と歌とお酒を愛した
とても粋な文化人であったと言われています。
(ぼたんかしょうはく)
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池田の五月山中腹に「大廣寺」という名の古いお寺があります。
(塩増山 曹洞宗総持寺直末)
山門の裏に大きな白い龍がいるということで有名なお寺です。

池田城主、池田充正の代が最も安定し、
財力にも恵まれた状況にありました。

大廣寺も塔頭が36院あったといわれ、
主に「泉福院」「明悟院」「陽春庵」がありました。



この「泉福庵」に1507年
高名な連歌師の牡丹花肖柏

京都から移り住みました。
「夢庵」と名付けた庵を結び、香・花・酒を愛し
風雅三昧の日々を12年間過ごした言われています。
本堂前には「牡丹花肖柏遺愛碑」があります。
これは肖柏を敬愛した「田中桐江」が作成し
1804年に「荒木梅閭」が石に刻み建立しました。
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肖柏が滞在の間、池田氏一門に連歌を流行らせ

同時に後世にまで及ぼす多彩な文化を施しました。
その後の池田の俳人・文人に大きな影響を与えました。

連歌は連歌会に集まった人々が、その場で長句と短句を
詠みつなげていくことによってひとつの作品を創作するという
世界でも類を見ない韻文文学(いんぶんぶんがく)です。
とくに室町時代から江戸時代にかけて盛んになり
身分の上下を問わず蓮歌をいそしんだといわれています。

肖柏は1443年
応仁の乱の少し前になります。
中院通淳と側室の月窓庵との間に生まれました。

中院家は鎌倉時代以降、大臣家として栄え
多くの歌人を輩出したことで知られています。
肖柏は早くに仏門に入り宗祇に師事して連歌を学び
内裏連歌会に加わるなど同時の連歌会で
高い評価を受けるようになります。

池田市に伝わる織姫伝説をファンタジー童話にしました。

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