久安寺は行基が創設し空海が滞在し豊臣秀吉が参拝したすごいお寺!池田市

大阪府池田市にある久安寺行基菩薩が開創とされていて
1300年の歴史を持つ古刹でございます。

↓こちらが久安寺内にある行基菩薩、光が入ってえらいことになってます(..;)
※行基菩薩というと、奈良時代の日本の高僧で
奈良の大仏さんを作る時に勧進役をしたという大変に有名な方なのです。
全国に行基菩薩が手がけたとされるお寺があり、
お一人では成し遂げるのは無理なので、「チーム行基」のような組織があって
そのチームが手がけたものならば、行基開創と呼ばれたのかもしれません。

池田に行基菩薩が来られたのは724年、58歳の時で
池田市内や伊丹市内には行基菩薩が開創したとされるお寺がいくつかあります。
そしていろいろと伝説が残っております。

行基菩薩が開創したというだけでもすごいのに!
824~833年には弘法大師(空海)がおられたとされています。
一時期、諸事情により身の危険を感じ、久安寺で身を隠されたのでは?
と考えられています。
真言密教はこの時に久安寺に伝わりました。
その後数ヶ月後に京都に戻られたということです。

↓こちら御影堂は、弘法大師がおられた庵の跡と言われています。

久安寺の残念・・・で不思議な事件といえば
1140年の冬に金堂が火事で燃えたことです、原因は山火事からとか。
本堂にあった観音様を探しますが、見つかりません。
この観音様は行基菩薩が朱雀池の中から見つけ、
本尊様にした5㎝ほどの金の観音様で、
290年を経て、10倍の大きさにした中に、
金の観音様を胎内仏として胸に入れ、

100年もの間お祀りしたものだったのです。
お坊さん達は悲嘆に暮れておりましたが・・・

しかし、何日かして西の山に強く輝く光が見え、行ってみると
そこには灰になったはずの本尊の観音様がおられたとか。

さて、久安寺といえば、楼門である(^^)/

久安寺の楼門は国宝だった時もあり、1950年から重要文化財となる。
実際にいつ建てられたものなのかはわかっていません。
少なくとも、今まで5回以上の修理をしたと思われます。
1959年に解体修理をした時には、
古い木材や応永の文字の墨書が発見されています。


明治維新の久安寺には住職が不在
近所の人々が寺を護り、大事な書類を虫干ししましたが
多くの文書や資料は湿気予防の虫干しに手がかかるからと
もったいないことに焼却されたそうであります。

明治中期に山口県から縁があってやってきた、20歳の僧が61世となります。
この方が今の住職のご先祖であります。

61世の照快が驚いたことは、雨漏りのするお堂に多くの仏像があって
薬師如来は雨漏りの滴でいたんでいました。
また、たくさんの文書や寺歴を証す木版や巻物がありました。
明治30年から50年間住職をされました。

現在は61世のひ孫にあたる64世が住職をされています。

この久安寺は、行基菩薩が創建され、
弘法大師が住まわれていたこともあるというだけでもすごいのですが
豊臣秀吉も参拝し、茶会を開かれたそうです。

63世の禎相住職の時に綺麗に整備をされて、
1年中綺麗なお花が咲く、「花の寺」としてもとても有名になりました。
関西花の寺12番です。






最後までお読みいただきましてありがとうございました。

久安寺
大阪府池田市伏尾町
阪急池田駅からバスで20分ぐらいです。

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