五社神社は阪急石橋駅と池田駅の間に位置するので
どちらから歩いても同じくらいでしょうか、、、
釈迦院というお寺も近くにあり、
古いお家がまわりに点在する、ここも風光明媚な場所です。
五社神社
鉢塚2-4-28
072-761-7200
こんもりと木で生い茂った場所がありますので
そこを目指すとたどりつきます。
釈迦院・五社神社ともに専用の駐車場がありますが
このあたりは道が狭いですし、是非町並みをご覧いただきたいので
近くのコインパーキングをご利用いただいて、
散策していただきたいです♬☻☻♫•*¨*•.¸
倉がある古いお家、懐かしい空気、
なんとなくおばあちゃんの家を思い出す感じ・・・
織田信長の兵火で消失したあと、釈迦院の伝誉上人が再建しました。
お宮さんとして村の人々に親しまれ、
戦前は青年会活動の一環として各家の跡取りを対象に夜学が行われていたり
村の若者の入営、応召の時は挨拶をして出かけました。
さて、この五社神社には、、、
なんと!境内に古墳(鉢塚古墳)があるのです。
それがまた、少し地下になっているのですが
ひんやりしていて、薄暗くてもうただ事ではない空気。
正直に申しますと、かなりゾクゾクしました。
古墳の写真は撮らないでくださいと説明があったので
十三重宝塔写真はお借りしたものです。
ぜひぜひご見学に行かれてください。
薄暗いので懐中電灯を持って行かれることをオススメします。
鉢塚古墳 (上円下方墳)
五社神社の本殿の裏側にあります。
「古墳こちら」と案内が出ておりますのですぐにわかります。
この古墳は五社神社が建てられる前からあって、
聖徳太子の頃のものだそうです。
池田として誇るべき壮大な史跡なのです。
被葬者は帰化人豪族の秦氏の首長だと考えられています。
昭和13年に大阪府指定文化財「史跡」として指定されました。
現在の石室には「石造十三重宝塔」「不動明王種子板碑」
「地蔵菩薩石造」があります。
昭和39年に噴丘頂部から経塚に関する遺物一式が出土しました。
(詳しくは池田市史第一巻761ページに記述があります)
こちらは、ウィキペディア様の画像で、石造十三重宝塔↑
塔の高さは5メートルに近く、材質は花崗岩、相輪は後補ですが
他ははじめのままである。
軸部には金剛界曼荼羅の四方仏をあらわす梵字が刻まれている。
塔の右側には不動明王の板碑、左側には地蔵尊の石像がそれぞれあり
ともに鎌倉時代のものである。
古代4世紀の初め頃、仲哀天皇の后、神功皇后が
古代朝鮮の国の一つ「新羅」から持ち帰ったと言われる
釈尊の鉄鉢が鉢塚に埋められていたのを
奈良時代の僧「行基」が夢のお告げにより掘り出し、
これを聖武天皇がが受けられて
724年に多羅山・若王寺を創建されました。
そのお寺は現在はありませんが、今から1300年も前のことです。
五社神社はその若王寺の鎮守社として建てられました。
五社というのは祭神
「国常立尊」「建速素戔嗚尊」「磯野猛尊」「住吉大神」「穴織大神」
の五社が祭られているからです。
鎌倉時代に入ってこれらの神々は本地仏が五智如来とされ
まとめて五社大明神と呼ばれるようになりました。
↓こちらは五社神社近辺のみどころ!
釈迦院のご案内
鉢塚のチンチン坂を探してきました
水月公園「大阪みどりの百選」池田市鉢塚
一乗院は石田三成の子供が軍旗に包まれ落ち延びた寺
参考文献/池田市史・大阪春秋・池田歴史散歩・池田の文化財
コメント
またまたコメントさせて頂きます。あなた様は凄い〜、私はこの古墳を探すこと、
ン10年⁈ 探したのです、聞いたのです。私の知り合いの人に、でも判らなかった。
実は私が小学生の低学年の頃、今から64.5年前の話です。先生引率でこの古墳を見学に
行ったのです。それを思い出し探したのです、聞いたのです。駅近くで商売をしていたから、知り合いは一杯いるのですが、誰も知らなかった!
歩いて神社巡りをしている時偶然見つけたのです。「嬉しかったなぁ」でも今は柵があって中には入れませんでした。 これからも、もっともっと掘り下げて池田の事を教えて下さい。ありがとうございました。
こんにちは、コメントありがとうございます。
私のお友達に中岡嘉弘さんという方がいて、いつもいろいろ教えてもらっています。
歴史は勉強すればするほど新しい発見があって楽しいです。
これからもご指導宜しくお願いいたします。
[…] ◆五社神社(ごしゃじんじゃ) 〒563-0024 大阪府池田市鉢塚2丁目4-28 072-761-7200 紹介HP […]